大判例

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山口地方裁判所 昭和38年(わ)250号 判決

被告人 西村進

大六・七・六生 布団販売業

主文

被告人を、判示第一、第二の罪につき各懲役三月、判示第三の罪につき懲役四月に夫々処する。

但し、この裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、麻薬中毒者であつたところ、

第一  (一) 麻薬施用者免許をもたず且つ法定の除外事由がないのに、昭和三六年一月六日頃より同年二月二四日頃までの間前後七回に亘り、別紙麻薬不正施用一覧表(2)番号27、28、31、33、46、47、51記載のとおり山口県美禰市伊佐町伊佐中元医院において、自己の中毒症状を緩和する目的で、「既往症として胆石症を患つたことがあり、胃が痛むから注射して欲しい。」など、情を知らない同院医師栫健に申向け、同人から麻薬である塩酸モルヒネ注射液合計一一ccの注射を受けて、以てこれを不正に施用し、

(二) 昭和三五年一一月三〇日頃から昭和三六年三月二日頃までの間、前後一四回に亘り、別紙麻薬不正施用一覧表(1)記載のとおり山口市大字嘉川藤津医院において、同院医師藤津房一に対し、麻薬であるモヒアト注射液等を注射して欲しいと懇願し、麻薬施用者である同医師をして、麻薬中毒者である被告人の中毒症状を緩和するため右モヒアト注射液等合計二五ccを被告人に施用することを決意させ、その場で右注射を受け、以て右藤津房一の不正施用を教唆し、

第二  昭和三六年二月二八日頃から同年八月一二日頃までの間前後一〇回に亘り、別紙麻薬不正施行一覧表(2)番号52、60、61、66、67、69、71、72、74、88記載のとおり、前記美禰市伊佐中元医院において、同院医師栫健に対し、麻薬である塩酸モルヒネ注射液等を注射して欲しいと懇願し、麻薬施用者である同医師をして、麻薬中毒者である被告人の中毒症状を緩和するため、右塩酸モルヒネ注射液合計一四cc、オピアト注射液合計六ccを被告人に施用することを決意させ、その場で右注射を受け、以て右栫健の不正施用を教唆し、

第三  (一) 昭和三四年六月三日頃から昭和三六年九月四日頃までの間前後五三回に亘り、別紙麻薬不正施用一覧表(2)番号1ないし16、18ないし20、23、24、26、29、30、32、35ないし38、41、44、45、48ないし50、53ないし57、62、63、68、70、73、77、78、81ないし85、89記載のとおり、山口県防府市牟礼浮野三浦医院において、同院医師三浦明に対し、麻薬である塩酸モルヒネ注射液等を注射して欲しいと懇願し、麻薬施用者である同医師をして、麻薬中毒者である被告人の中毒症状を緩和するため、右塩酸モルヒネ注射液合計一一二cc、オピアト注射液合計二九ccを被告人に施用することを決意させ、その場で右注射を受け、以て右三浦明の不正施用を教唆し、

(二) 昭和三四年八月一八日頃から、昭和三六年九月六日頃までの間前後二〇回に亘り、別紙麻薬不正施用一覧表(2)番号17、21、22、25、34、39、40、42、43、58、59、64、65、75、76、79、80、86、87、90記載のとおり山口県吉敷郡大内町大字仁保中郷香川医院において、同院医師香川満正に対し、麻薬である塩酸モルヒネ注射液等を注射して欲しいと懇願し、麻薬施用者である同医師をして、麻薬中毒者である被告人の中毒症状を緩和するため、右塩酸モルヒネ注射液合計二二ccを被告人に施用することを決意させ、その場で右注射を受け、以て右香川満正の不正施用を教唆し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(確定裁判)

被告人は、(一)昭和三六年七月一二日山口簡易裁判所において、道路交通取締法違反の罪により罰金二、〇〇〇円、(二)昭和三六年八月二三日前同庁において、前同罪により罰金二、〇〇〇円、(三)昭和三六年一一月二三日前同庁において前同罪金五、〇〇〇円の裁判が確定したものであつて、右の点は前科照会書によつてこれを認める。

(犯罪の成否及び罪数について)

(一)  犯罪の成否

被告人の判示各所為が、現行麻薬取締法施行後に犯された場合は同法二七条五項によつて処罰されることは当然であるが、旧麻薬取締法(昭和二八年法律一四号)によれば、第三者から施用を受ける行為について直接これを処罰する規定を欠いているのでその可罰性については専ら刑法理論によつて決するほかはない。

そこで、本件の場合の被告人の罪責について論ずるに(1)判示事実のうち第一の(一)についていうならば、栫医師は証拠上情を知らない第三者であつて、被告は、同医師が自己の行為のもつ法律的意味を認識して意思表動する自由がないのに乗じ、同医師を自己の意思の儘に支配し行動せしめた者であつて、その行為を法律的価値評価を通して考えるならば、たとえ同医師が意思能力者であつても、いわば犯人の道具にすぎず、その罪責はいわゆる間接正犯を以て律せられるべきものであると考える。(栫医師は、被告人を初診したのは昭和三五年一二月一五日であつて、同人から胃が痛い、胆石を患つたことがあると訴えられ、痛み止めとして麻薬注射をしてやつた。カルテに記入してあるのは最初の二、三回で、疑を持ちながら施用した分については勿論記入していない。尤も最初一〇回位は、ひよつとするとという疑程度で、はつきりそうとは思わなかつた。昭和三六年二月二八日被告人から「麻薬を射たぬと、どうも居れない」ということを洩らしたので、もしかすると麻薬中毒ではないかとの疑を持つたので((後程検事にははつきりそれが判つたと述べている。))これ以上注射はできぬと断つたが、被告人は、まあお願いすると返事をしたようだ。などと述べて居り、これと被告人の警察調書中の、「中元医院に行つた回数の半ば頃、先生に麻薬を射たぬと居れない。という意味のことを話し、先生からとめられたが、無理を言つて注射を受けた。」旨の供述記載を照らし合わせて考えると、少くとも受診一一回目に当る昭和三六年二月二八日以降は栫医師の知情が認められるが、受診四回目に当る同年一月六日以降二月二四日迄については、その知情は一応否定するのが正しいと思われるし、また同医師に対する別件の裁判によつても、そのように認定せられている。)(2)ところが、その余の判示各事実については証拠上各医師のその点の知情は明白である。即ち、藤津医師は、最初から被告人はモヒ系でないときかないと訴えて居り、昭和三五年一〇月三一日には既に麻薬中毒の疑を持つたと述べ、三浦医師は来診した翌日から嘘を言つているのではないかと思つたが、昭和三四年六月三日頃からは麻薬中毒者である疑を強くいだきながらも求められる儘に注射をしてやつたと述べ、香川医師は、昭和三四年八月一八日既に中毒の疑を持つていたので絶対に射たぬと断つたが、被告人の哀願に情負けしてしまつた。と述べているので、これら各医師は本件犯行当時被告人が麻薬中毒であることを十分察知して居り、また被告人としても当時言わず語らずの裡にそのことを了解していたものとみるべく、これら各医師に対する別件裁判の認定もまた同様である。

このように情を察知した第三者に懇請し、その意思如何によつては、さらに、他の第三者に依頼し麻薬の施用を受けようとする行為は、旧法のように直接の処罰規定を欠く場合どのように解すべきものであらうか。この点医師と共同正犯の関係に立つとして、刑法六〇条、六五条一項、旧法二七条三項を適用した昭和三七年九月一二日山形地裁判決例(下級裁判所刑事裁判例集四巻九・一〇号)があるけれども、現行刑法は個人責任の理念にささえられて居り、正犯と共犯の概念を混淆して、共同正犯の範囲を不当に拡張することは、構成要件のもつ人権保障の機能を破壊するものであるとの非難を本件事案においては免れないように思われる。即ち、本件の各医師は当初から麻薬を不正に施用しようという意思は全くなく、また被告人としてもこれら医師と共同して、同一の犯行を分担遂行しようという意思まで有していたものではなく、そこにいわゆる共同意思主体なるものを認めることはできない。各医師の犯行の端緒、動機というものが、このようにはつきり出ている以上、これを分離捨象して、被告人の懇請によつて、始めて、犯行の決意を生じた後の実行行為のみについて、共同関係(たとえ、これありとしても)を認めることはこれまた行為が価値関係的なものであることを無視した態度であるといわなければならない。被告人としては第三者である各医師の、意思決定を促がしこれに自己の犯行の成否をかからしめようとしたにすぎず、各医師がその懇請に応じない事態もあり得ることとして、その場合はさらに他の医師に依頼するつもりであつたと認めるのが証拠上最も妥当無難な見方であると思われるから、その責任は実行行為者の実行を俟つて、始めて責任を問わるべき、教唆責任に外ならないものと考える。本件事案について、右のように事実を認定するかぎり、本件を数人がおのづから共同犯行の意思を生じ、その責任を共同して分担すべき共同正犯を以て律することは、正犯と共犯の区別を困難ならしめるように思料するからである。

(二)  罪数について

被告人が、以上四医師に麻薬の施用を依頼した行為は、各医師毎に、包括一罪を構成するものと解することは相当であろう。同一継続犯意、同一態様、同一法益侵害の連続反覆性、方法の類似等の諸点に照らし、既判力及び科刑の点において、これを数個の行為として評価すべき相当な理由がなく略々同種事案についての最高裁判例の趣旨からもこのように解すべきものであらう。ただしかし、栫医師を利用しての間接正犯と、教唆犯は、同一継続犯意があるとはいえず、犯行の態様も同一であるとはいえない。(各医師に対する依頼行為を包括して、全部を一罪とみることは犯意の点からみて明らかに無理であると思われる。)なお本件の場合、包括一罪と認めるべき犯罪の中間に確定裁判が介在している。この場合その一罪関係は継続犯でない限りは、中間確定裁判によつて遮断せられるべきであるとする判例が有力ではある。しかし、継続犯などの場合とそうでない場合とによつて、人格評価の可分性を左右して考えることは余りにも概念的すぎるように思われる。罪数は単なる科刑技術上の問題にとどまらず、さらに根本的に既判力という面において、法律の実体が訴訟手続的に構成される最も端的なあらわれである。従つてその基準は構成要件、犯罪形態、社会通念に則し、刑事政策的に把えられるべきであり、形式的な確定裁判の有無によつて、既判力問題に深く関連する罪数の評価を左右することは、罪数概念の混乱を招く以外にないとも思われるがどうであらうか。累犯の加重など科刑技術の面では、裁判の確定時を類型的に把え、確定裁判の前後によつていわば別個の人格を擬制することも理由のあることでもあろう。しかし、罪数はそうした技術上の要請に基づく擬制であつてはならないのであつて、たとえば刑法理論上数罪の評価をすることが相当でないと判断しながら、中間確定裁判がたまたま存在していることを理由に、その前後に跨る罪は必ず数罪でなければならぬと解すると、数個の確定裁判の前後に跨る包括一罪性のある各個の犯罪のうち或確定裁判前の犯罪が、その後に提起せられた公訴事実から脱落していた場合、最終の確定裁判後の裁判の既判力は右脱落部分に及ばず、あらためて余罪としての責任を追求されることとなると思われるが、これは犯人の反社会的特性が確定裁判の前後を通じてなされた包括一罪の全体を包括把握してのみ正しく評価し得ることを無視し、犯人に二重の危険を強いるもので、そうした罪数理論は一体何を基準として考えられているのであろうか。繰返していうならば刑法四五条後段の規定は確定裁判前の罪は、一応、確定裁判にかかる罪と同時審判し得たものと、時期的に擬制してそれによる科刑上の利益を、十分斟酌することが累犯加重と制度的理由を異にする併合罪概念に照らし、理論的に忠実であるという、全く概念的な理由からさらに平たくいうならば、確定裁判後の罪と比較し、そのうち重い方の罪の刑に法定の加重をすることによつて、法定刑を引き上げるのは、その引き上げ方が、理論的に間違つている、との理由によるのにすぎないのでなからうかとも思われる。そうだとするとこれはあくまで併合罪の加重問題なのであつて、処断上一罪には、もともと法定刑の引上げという問題はないのであるから、このような科刑技術上の理由によつて、逆に実体形成面の問題を把えようとするのは、いかがなものであらうか、以上によつて今のところ中間確定裁判の存在は犯罪の包括一罪性を遮断するものではあり得ないと解する次第である。

(法令の適用)

判示第一の(一)の所為 昭和二八年法律一四号麻薬取締法二七条一項、同法六五条一項、刑法四五条後段、同法五〇条(懲役刑選択)

判示第一の(二)の所為 前記麻薬取締法二七条三項、同法六五条一項、刑法六一条一項、同法六五条一項、同法四五条後段、同法五〇条(懲役刑選択)

以上判示第一の(一)、(二)の各所為につき併合罪の加重 刑法四五条前後、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第一の(二)の罪の刑に法定の加重)

判示第二の所為 前記麻薬取締法二七条三項、同法六五条一項、刑法六一条一項、同法六五条一項、同法四五条後段、同法五〇条(懲役刑選択)

判示第三の(一)、(二)の各所為 前記麻薬取締法二七条三項、同法六五条一項、刑法六一条一項、同法六五条一項、同法四五条後段、同法五〇条(各懲役刑選択)

以上判示第三の(一)、(二)の各所為につき併合罪の加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第三の(一)の罪の刑に法定の加重)

以上判示第一ないし第三の各所為につき 昭和三八年六月二一日法律一〇八号麻薬取締法附則二条、昭和二八年法律一四号別表二四号

執行猶予 刑法二五条一項

(量刑について)

本件は、昭和三七年三月六日山口地方裁判所において、業務上横領罪により確定した執行猶予の裁判前に犯された余罪であつて、被告人は前裁判による拘束をとかれて後は、一応中毒症状から脱慣し、真面目な社会生活に復帰していることが窺われる。相当期間の単純な執行猶予が相当である。

(裁判官 岡村旦)

麻薬不正施用一覧表(一)、(二)(略)

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